最近、私が経営する会社で、続けて大きな取引がありました。
そのうちのひとつで問題が発生し、私は窮地に立ちました。
そのとき、自分の不十分な頭で解決しようとするのではなく、祈り、助けを求めたところ、神様は奇跡的な解決策を用意してくださいました。
それだけでなく、前日にRAPTブログに掲載された有料記事の中で、神様はそもそも私の間違いに気づかせてくださいました。
御言葉(神様からの啓示)では、これに従って生きようとする者を、神様が様々な形で導かれると教えて下さっています。
実際に御言葉に従うようにすると、神様の導きに気がつけるようになってきました。
そのような体験をここに証します。
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先日、取引が成立する直前に大きな問題が発生し、関係者は大騒ぎになりました。
私は取引を続行するか、キャンセルするかを決めなければならない状況に追い込まれました。
急遽方針を見直したり、関係者に連絡したりしなければならず、久しぶりに取り乱してしまいました。
いつもは決まった時間に落ち着いて神様に祈るのですが、そんな日常生活にまで支障が出ました。
神様に正しい対処法を祈り求めました。
以前なら自分一人で進めていましたが、RAPTブログに出会った今は、神様に祈りながら進めています。
しかし、その日は取引のことが頭をよぎり、落ち着いて祈ることもできないまま過ぎてしまいました。
次の日、状況はさらに悪化しているように私には見えました。
「神様の心にかなう正しい道に導いてください」
翌日、私は自分の思いを振り払うように努め、このように真剣に祈りました。
すると、問題が深刻になりかけたときに、神様は解決に導いてくださいました。
というのも、ふと、「あの先輩に意見を聞いてみよう」と浮かんだのです。
電話すると、なんと、その日に会ってくれることになりました。
1時間ほど状況を話した後、その先輩は「あの人に相談するといい」と言って、別の専門家に電話してくれました。
受話器を代わってもらい助言を求めると、忙しい人にもかかわらず、これまたなんと、翌日にアポイントがとれたのです。
このようにして、必要な情報がすべて得られたので、私は最終的に、正しく決断できました。
「神様のおかげです!」 私はそれがうれしくて、感謝しました。
ところが、神様の導きはそれだけで終わりませんでした。
この前日にアップされたRAPTブログの有料記事のタイトルを見て私は愕然としました。
根本的なところで、私はこの問題を履き違えていたことがわかりました。
実は、私が問題だと感じていたことは、神様から見ればまったく問題ではなかったのです。
今回の取引相手は百戦錬磨で資本力もある強い立場であったため、交渉局面に発展したら負けられないという危機感がありました。
それに、損失を避けることはもちろん、交渉に負けないこと自体を反射的に目的化していました。
そのため、必要以上に悩み、被害妄想に陥りながら、なんとか事態を収拾しようと奔走しました。
しかし、私が正しく行動さえすれば、交渉の勝ち負けは問題ではなかったのです。
冷静に考えれば、たとえ損失を被ったとしても、生活ができなくなるほど大きなものではない。
だから、神様の御言葉に従ってまっすぐ正しく生きていれば問題ない。
不利益を補填し、倍にして返すと神様は約束して下さっている。
何年も御言葉を学んでいるのに、実際に困難な状況に置かれると実践できないことに気づき愕然としました。
私の視野は狭くなっていました。
神様の使命者が遣わされているこの時代、悪が滅び、正義が勝つ夢のような世界が実現しようとしている。
そのような善と悪の大きな戦いの中で、このような小さな交渉の勝ち負けはどうでもよかったのです。
地上にある財産ではなく、ただ、天にある朽ちない財産を求めるべきです。
2024年4月11日(木)
天国で私たちが受けられる祝福は余りにも莫大だから、地上で受けたどんな痛みや苦しみも全て忘れてしまうほどだと主は仰った。地上でどんなに富を積んでも雀の涙ほどにしかならないが、天に富を積めば地球規模の莫大な祝福に包まれる。
RAPT | RAPT朝の祈り会(2024年4月分) (rapt-neo.com)
振り返ってみると、私は長い間、商売の世界から影響を受けてきました。
何度も交渉相手に煮え湯を飲まされ、ときには裏切られたこともありました。
もともと素直だけが取り柄の若者でしたが、負けたくないという思いから、いつしか損得勘定ばかりする人間になってしまいました。
しかし、ある日、RAPTブログに出会い、神様を愛する生き方があることを知りました。
だからこそ、こんな汚れた世界に嫌気がさし、そこに浸ってきた自分にも嫌気がさし、変わりたいと願うようになりました。
もちろん、利己的な面だけでなく、あらゆる面で変わりたいと願っています。
私が変わりたいと祈り続けているのは、わがままが想像以上に深く根づいていると気づいたからです。
神様の使命者であるRAPTさんが、どれだけ全力を尽くし、人類のために戦って下さっているか。
それを目の当たりにしているこの時代にありながら、私の心の目は曇ってしまうときがある。
だから、私を変えてくださいと神様に祈っています。
そうやって祈っているからこそ、神様は今回、私のために、あえて絶妙のタイミングでトラブルを起こしたに違いない。
そう確信しています。
なぜなら、聖書にも次のようにあるからです。
「見えるようになるために、目に塗る薬を買うがよい。わたしは愛する者を皆、叱ったり、鍛えたりする。だから、熱心に努めよ。悔い改めよ。」(黙示録3:19)
神様は、私が現実から目を背けないように、困難な状況でどう行動すべきかを的確に示してくださったのです。
また、聖書の別の箇所で、イエス様は次のように予言されました。
「はっきりと言っておく。鶏が鳴く前に、あなたはわたしを知らないと三度言うであろう。」(ヨハネ13:38)
これと同じように、神様は、前もって宣布された御言葉をつかって私を教育されたに違いないと思いました。
そのことに気づいたとき、私は感動して涙があふれました。
神様に祈り求め藻掻くことによって、人間は変わることができる。
御言葉を通して、私はこの深い真理を知りました。
御言葉を実践すれば、神様はこのようにさまざまな方法で私たちを導いてくださり、私たちは変われるのだと信じます。
これは私にとって本当に大きな希望です。
神様の使命者であるRAPTさんは、神様と完全な愛の関係にあります。
そして、自分のことは顧みず、神様が愛してやまない人類のために御言葉を伝えてくださっています。
神様がこの御言葉を通して人類を愛へと導いておられるからです。
世界中の人々がこの聖なる御言葉に出会うことを願っています。
そして、多くの人々が神様の導きに気がつき、感謝と希望に満ちて生きられることを心から願っています。