今月、あるきっかけから二拠点生活を始めました。
小さなことですが、その過程で、どうすべきか神様に祈り求めると、道を示してくださいました。
このことを神様に感謝し証します。
2024年6月30日(日)神様と愛を成して生きる人は、人生の中でどんな選択肢を突きつけられたとしても、必ず一つの正しい道を見出し、迷うことなく生きられる。しかも、その道を行くことで、人生に必要なものが全て与えられ、霊肉ともに豊かな祝福に満たされて生きられる。
RAPT | RAPT朝の祈り会(2024年6月分) (rapt-neo.com)
我が家には、妻の念願かなって飼い始めた兎がいます。
最近になって大きくなり、今の共同住宅では思い切り走れなくなりました。
しかし、新居に引っ越したいと望んでも、住んでいる都心部は価格が高騰しているため困難です。
では、地方移住はどうかというと、妻も私も都心が好きで、これも決断もできません。
そこで妻が提案したのが、いま持っている自宅の他にも、住まいを持つという二拠点生活案でした。
最初にそれを聞いたとき、私は半信半疑でした。
そんな贅沢な暮らしは良くないと思ったからです。
一方、自分の固定観念が間違っている可能性も認識し、神様に道を示していただけるよう祈りました。
祈っていたなかで、ある日、広い家があれば書斎が持てるという考えが浮かびました。
今の家は狭いので、仕方なくダイニングを書斎にしています。
そういえば、私は神様の役に立つために、読み書きの質と量を向上させたいとも願っていました。
環境の変化がその解決法の一つかもしれないと浮かんだのです。
といっても物件探しの方は、ほとんど期待していませんでした。
ペット可の賃貸物件は家賃が高いため、現金で購入できる範囲で戸建を探しましたが、案の定、そんなにうまい話はなく、妻と私は検討をいったん諦めました。
ところが1カ月ほどたち、妻が掘り出し物を見つけてきました。
物件概要を見ると大幅に割安で、なぜ売れ残っているのか理解できないほどでした。
都心から新幹線に乗って歩いてアクセスでき、近くに自然も豊かな立地の新築です。
私は不動産に少し詳しいので、この物件は中古で買い手や借り手がすぐ見つかりそうで割安だと判断できました。
実際、現地に向かうと、空気も景色も美しく、周辺環境は申し分ないように思えました。
このような、あまりにもしっくりくる話がきたとき、これは神の導きかもしれないと思いました。
RAPTブログに出会い、神を信じるようになってから、このような導きが何度かあったからです。
妻は「早くしないと売れてしまうかもね」と言いました。
でも私は、神様の示される道ならきっと買えるだろうと信じられたので、焦らず落ち着きました。
私は慎重に第三者検査を依頼し、断熱性や耐震性に問題がないことも確認しました。
そうして2週間後、その家はまだ売りに出されていたので、私は申込ができました。
この間にも、もし選択を間違っていたら引き返せるようにと毎日祈っていたら、御言葉(神様の啓示)を学ぶたび、決断の助けとなる教えも次々と与えられました。
VOL.855 地上でどんなに富を積んでも雀の涙ほどにしかならないが、天に富を積めば地球規模の莫大な祝福に包まれる。
「天国はとても広いから、あなた一人が住む場所はいくらでも用意することができる。しかも、あなたたちは地上のように狭い場所に住む必要がない。」
これを読んだとき、まるで都心の狭い部屋に住む私たちを神様が憐れんでくださっているように感じました。
そして、御言葉にあるように、経済面で将来を心配することなく、ただ神様の役に立つために何が最善かを考えればいいのだと、改めて決心しました。
RAPT有料記事250(2018年2月12日)主が天地万物を創造した目的はただ一つ。私たち人間と愛を成すためだ。
実際、新しい生活を始めてみると、すぐに書斎が良いと感じました。
オフィス用の椅子は長時間座っていられるので、読み書きが捗ります。
また、個室に籠ることで生活面の邪魔も入りません。
どうしてこんな単純なことを今まで思いつかなかったのか分かりません。
当初の目的だった兎にとっても良いし、妻も大満足です。
それに、最近食生活を変えたので、都心では手に入らない健康食材が直売所で安く手に入るのも嬉しい驚きでした。
さらに、近くにいい温泉がありながら、中国人観光客や不法移民を今のところ見かけないのも自分にとっては嬉しい発見です。
実際住んでみると、地方と都会では生活に大きな違いがあることにも気が付きました。
このような思いがけない導きをいただけたのは、ただ、私がRAPTブログに出会い、神様を信じたからに他なりません。
世界中の多くの人がこの御言葉を信じ、神様が共にしてくださることを願っています。
2024年6月24日(月)神様を信じると、神様が共にしてくださるようになる。そして、神様が共にする人生と共にしない人生はとてつもなく大きな違いだ。しかし、実際に神様が共にするまでは、誰もその違いがよく分からないから、それを知った私たちが人々にそれを教えてあげなければならない。