目次
1.人工知能が人間にとって代われないことの本質
2.神様が人間に与えた自由意志
3.どこまで頑張るかも本人の自由
1.人工知能が人間にとって代われないことの本質
近年、人工知能の発達によって「今から10年後になくなる仕事」といった特集記事をよく目にしますが、これは要するに、「意志」が不要な仕事は人工知能がとって代わるようになり、「意志」が必要な仕事が人間に残るということ、と私は思っています。
例えば、企業の経営者の仕事が人工知能にとって代わられるという論調の記事はあまり見たことが無いですが、これは経営者という仕事はそれだけ「意志」の必要な場面が多いからではないでしょうか。
「この会社はこのようなサービスで社会に役立ちたい」「それによって世の中をこう変えたい」「規模を何年後にどれくらいにしたい」「従業員にはこのように活躍して欲しい」といった意志があるからこそはじめてそれが伝わって、消費者が購入したり、投資家が投資したり、従業員が就職しに来たりと、外部とのやりとりが発生するのだと思います。
逆に言うと、「意志」が無いと言うことは 伝わる ビジョンが無く、そのような企業は長期的には消滅していく運命にあると思います。
同じように自分の仕事に「意志」が無い場合は、そのような人の仕事は無くなっていく運命にあるのではないでしょうか。
もう一つの例として、法人営業の仕事をとってみても、「自分はお客さんに何年後にこうなって欲しい」「だから今年はこれを売って来年はこれを売りたい」といったような意志を持った売り方ほど高付加価値と言えます。
別な言い方をすると、意志を持った仕事のやり方ほど、時代やお客さんや組織に追われて受け身になるのではなく、むしろ引っ張る立場に近づけるから付加価値が高いと思います。
そのような仕事のやり方を実践していればいるほど、人工知能にとって代わられる心配は無用と考えています。
「自分がどうしたいのか」意志を持たずにただ流れ作業のように働くということは、たとえ肉体は生きていても魂が死んでいる働き方であり、 どうせ働くなら魂を生き生きと輝かせながら働きたいと思っています。
芸術家という仕事を例にとっても、「人を感動させたい」という思いや意志があるから、 そこに感性が活躍する余地があって、魂を込める余地があって、だから芸術は人工知能にとって代わられ難い領域なのだと思います。
2.神様が人間に与えた自由意志
神様が人間を創造されたときに、善を行うのも悪を行うのも最終的には人間の自由意志に任せるように設計されたと言います。
自由意志が無い存在はロボットに過ぎない、意志を持って行うからこそ尊い存在なのであり、だからロボットよりも人間の方が高次元だ、ということです。つまり、人間には「意志」があって、ロボットには「意志」が無いということになります。
また、いくら人工知能が自律的だと言っても、今後も人工知能が人間と同じように意志を持つことは不可能だと私は思っています。
というよりも、万が一人間と同じように意志を持つことが出来た時点で、その人工知能は姿が人間でなくても本質は人間になったと言えるからです。
また、これをもっと発展させて言いますと、「意志」を持って行うことで「愛」が生まれるということになると思います。
いくら善い行いであっても強制的に行うことは「愛」では無いと言います。
なぜなら、「愛」とは相手のためを思って「こうしてあげたい」と自発的に行ってあげることだからです。
だから「愛」は尊くて、今後、人工知能やロボットがいくら発達しても最後まで残るものだと思います。
3.どこまで頑張るかも本人の自由
高校三年生の受験勉強のときに私は、これくらいで適当にやればいいかと思うのも自由意志だし、死に物狂いで真剣にやるのも自由意志にかかっている、結局、 どこまでやって満足するのかという本人の意志次第 なのだなあと考えたことを今でも覚えています。リンカーンの「意志がところに道は開ける」という言葉を習った時にそう思いました。
このように考えると神様が人間に与えて下さった自由意志は、人間を人間たらしめているような尊い要素ですが、反面その結果も当然に本人が負うことになるので、「自由意志」を持つことはとても責任が重いのだなあと痛感しています。