
最近私は、長年「無意味だった」と思っていた部活の経験が、実は神様への導きだったのだと悟りました。
これに気づいたとき、その後悔は大きな感謝へと変わりました。
RAPT有料記事267(2018年4月14日)主から導き育てられる人は、人生に意味のないことが起きることがなく、良いことも悪いことも全てを益にして生きることができる。
ある日、宝塚歌劇団の上下関係のいじめ事件を報じるニュースを見たときのことです。
私はふと中学・高校時代の部活を思い出しました。
そこにも理不尽な上下関係や精神論が残っていました。
たとえば、最上級生が下級生に何時間も腕立て伏せを強要するなど、今ならおかしいと言えますが、当時の私にはそれが当たり前でした。
「ここで逃げたら後悔する」
そう信じ込み、上級生の権威を疑うこともありませんでした。
そんな思い込みが最初に崩れたのは、高3の冬、受験対策の面接でした。
部活で培ったはずの「精神力」をアピールしたところ、途中で論理的に証明できないことに気がついたからです。
(あれ?そんなはずでは……)
上級生の言葉を鵜呑みにして、無理やり意味を見出そうとしていた自分に気づき始めた瞬間でした。
私が通っていた学校は、世間的には名門の進学校でした。
だから、そこにある伝統や権威は正しいと信じ込んでいました。
しかし、年齢を重ねるにつれて私は疑いを強めました。
あの理不尽な部活に費やした努力を正しいトレーニングに割いていれば、どれだけの成果が上がっただろうか……と。
後年、OBから聞いた話によれば、そのような伝統は時代に合わないとして次第に姿を消していったそうです。
長年私は、あの部活から得たものなど何もなかったと思っていました。
しかし、その話を聞いて私は、はっとしました。
あの経験によって私は、
「権威があるから正しいとは限らない」
ということを学んでいたのです。
だからこそ、政府やマスコミの情報も鵜呑みにせず、自分で真実を探すようになりました。
その先で出会ったのがRAPTブログでした。
もしあの部活の経験がなければ、私はRAPTブログにも耳を傾けなかったかもしれません。
そう思ったとき、長年後悔していた出来事こそ、神様へ導かれるための過程だったのだと悟ったのです。

ところが、この話にはさらに続きがありました。
神様は、この経験を通してさらに別の恵みまで与えてくださいました。
先日、中学生時代の先輩の言葉を聞いて、私は数十年間忘れていたことを思い出しました。
この部活には、不思議な伝統がありました。
最上級生になると、下級生を鍛える側に回り、自分たちは猛特訓を受けなくなるのです。
当時の私は、その「伝統」に強い疑問を持ちました。
「本当に意味があるなら、上級生も同じようにやるべきではないか」
そう考え、私たちの代では自分たちも同じ特訓を受けることにしました。
それは、自分のためではありませんでした。
後輩たちに同じ思いをさせたくなかったのです。
ところが、私たちが卒業すると、次の学年からは元通りでした。
どうやら、その「伝統」は私が思っていたほど深く見直されることはなかったようです。
「最上級生になってからも、あの特訓をやったそうだね。そんなことをしたのは、後にも先にもお前らの代だけだと噂になっているよ。」
先輩の言葉を聞いたとき、私は思わず動きが止まりました。
ずっと見失っていた自分に、突然再会したようでした。
後輩たちのために何ができるかを真剣に考えていた自分。
損か得かではなく、正しいと思うことを選ぼうとしていた自分。
そんな高校生だった頃の真っ直ぐな心を思い出したとき、胸が熱くなりました。
私はずっと、
「あの経験は無意味だった」
と後悔していました。
しかし、神様は違いました。
その経験を通して真理へと導いてくださいました。
そしてさらに、自分でも忘れていた当時の心まで思い出させてくださいました。
かつては、後悔していた過去がありました。
しかし今では、そのすべてが神様との出会いへと続く道だったのだと分かります。
神様は本当に、人生のすべてを益に変えてくださる方なのだと実感しています。
私たち人類が神様と愛をなしながら、意味のある人生を完成させていけるよう切に願います。