
以前の私は、苦しみはただ辛いだけのもので、とにかく避けたいと思っていました。
しかし今では、その考えが変わりました。
苦しみや悲しみは単なる不幸ではなく、自分を成長させるために神様が与えてくださる試練なのだと分かるようになったからです。
「取り返しのつかないことになってしまった…」
「この先、どうやって生きていけばいいのか…」
そう思って不安や焦りに襲われたことがあります。
実際、思い出すのも辛いものですが、そのような苦境に立たされたときほど、無我夢中で神様に縋りついて祈りました。
そして、御言葉に答えを求めるしかありませんでした。
すると、その度に神様は、苦しみを乗り越えるための気づきを与えてくださいました。
順調なときには、ただ頭を通り過ぎていた御言葉が、苦しみの中では不思議なほど心に深く入り、自分を支え、問題を解決する糸口になったのです。
また、不安で眠れずに祈り続けたときには、人の言葉を通して答えが与えられたり、突然霊感のように解決の道が示されたりしたこともありました。
そして何より驚いたのは、環境そのものより先に、自分の心が変えられていったことでした。
私はずっと、「問題さえ解決すれば楽になれる」と勘違いしていました。
しかし神様は、まず問題ではなく私自身を変えてくださいました。
御言葉と祈りによって、不安や焦りに支配されていた心が、少しずつ変えられていったのです。
神様の愛と真理の力を感じるしかありませんでした。
神様は、そのような体験を何度も私に与えてくださいました。
そして、苦境を乗り越えた後には、いつの間にか同じような問題に対処できるだけの「知恵」や「真理」が身についていることに気づきました。
後になって振り返ると、神様は試練を通して私を成長させ、御自身をより深く知るよう導いてくださっていたのです。
RAPT有料記事356(2019年3月4日)主が義人に対して艱難の風を吹かせるのは、その人がもっと主を求めるようにして、もっと親密な愛の関係を築くようにするためだ。
これらの御言葉を学んだとき、その意味を理解できたように思いました。
考えてみれば、あらゆる苦しみを乗り越える術を身につけられるとしたら、それほど幸せなことはありません。
神様は、人間にそのような本当の幸せを与えようとしてくださっているのだと思います。
聖書にも、神様が与えられる試練について、次のように書かれています。
「およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。」
(ヘブライ人への手紙12章11節)
「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」
(コリント第一10章13節)
苦しみの最中には、その意味が分からず動揺したこともありました。
しかし今振り返ると、その苦しみの中にこそ神様の深い愛がありました。
だから私はこれからも、どんな時も神様を信じて歩んでいきたいと思います。
苦難の中でこそ神様の愛を知ることができたことを、心から感謝しています。
RAPT有料記事415(2019年10月26日)人は悟りを得たときに主の愛を最も強く感じることができる。だから、悟りを得た人は主の愛の偉大さを理解し、主の愛を第一に求めて生きる。