
初めてこの聖句を読んだとき、私は、まだその意味を知りませんでした。
傍から見れば、私は一見、順調な人生を歩んでいるように見えたかもしれません。
仕事もあり、収入もあり、ある程度は周囲から評価される立場にもいました。
それなのに、心の奥には、いつも埋まらない空白がありました。
十年以上も前のことです――
私はいつも、「自由じゃない」と感じていました。
高く飛べるはずの翼を持ちながら、なぜか地面に縛りつけられているような感覚でした。
私は、ずっと憧れてきた部署で仕事していました――それなのになぜだろう。
「そこに幸せがある」と信じて登り続け、ようやく頂上に辿り着いた。
ところが、その場所に立ったのに、心は満たされないままだったのです。
私たちがずっと生きてきたこの資本主義社会――
そのような環境のなかで、
私はいつの間にか「多く得ること」や「勝つこと」に価値を置く生き方に染まっていました。
その結果、どんなことをするにしても打算的になり、人間関係さえ損得勘定で考える癖が染みついてしまいました。
しかし、得ることばかりを追い求めるほど、私の心は少しずつ疲弊していきました。
「何かが違う…」
「このまま人生を終えたくない」
人々が忙しそうに行き交う駅前で、私は一人立ち尽くしていました。
周りには笑顔で仕事へ向かう人もいる。
しかし、自分が何のために生きているのか分からない。
その答えを誰にも聞けないまま、自分だけが取り残されたような孤独感がありました。
「本当に世の為になることって何だろう」
「正しい生き方とは…」
いつしか私は、深夜のタクシーでも、湯船に浸かっているときも、こんなことを考えるようになりました。
そんなときに巡りあったのが、私の人生を変えることになる、一つのブログでした。
この出会いによって私は、心も、人生も、向かう方向が変わりました。
そのブログには、喉から手が出るほど探し求めていた生き方が、記されていたのです。
「どうして今まで教えてくれなかったのだろう……」
なぜか、その大切なことを教えてくれる人はいませんでした。
両親も、先生も、社長も、自己啓発本も――
私は、人生の半ばにしてようやく、「人生の取扱説明書」を手に入れたような気持ちになりました。
ブログの内容はとても奥が深いものでした。
まず、神様が実際に存在していると分かったとたん、私は心がすっきりとし、気持ちが楽になりました。
そして、一言一句を逃さないように、夢中になって読み続けました。
「さらに深く人生の真理を知りたい」
そう強く願うようになった私は、ある日、生まれて初めて聖書を手に取りました。
私は、これまでの生き方には何か大切なものが欠けていたと、はっきり悟ったのです。
読み進めるうち、それまで遠い存在だった聖書が、ときに自分に語りかけてくるように感じられました。
それからです。
雁字搦めだった私の心は、少しずつ解放されていきました。
いつの間にか自分でも不思議なくらい、心が軽くなっていきました。
以前の私は、誰かの評価や目先の損得ばかりを、気にしていました。
しかし今では、それらが人生の本質ではないと分かりました。
目の前の出来事ではなく、神様の前でどう生きるかを考えられるようになったからです。
しかも、人生は肉体が死んだら終了というわけではなく、なんと永遠に続くわけです。
迷ったときはいつも、祈りと御言葉のなかに答えがあると分かりました。
だから、それまで抱えていた漠然とした不安も、少しずつ消えていきました。
分からないことだらけの人生だったからこそ、不安だったのだと分かったのです。
そして、神様の前で隠すところがなければ、正々堂々と胸を張って生きられる――
このような何にも代えがたい喜びを私は知りました。
だから、ネット上での謂れのない誹謗中傷を受けたときも、心を支配されることはありませんでした。
もちろん、私が得たのは心の自由だけではありません。
自分で時間を決め、自分が本当に大切だと思うことに時間を使えるようになりました。
神様が導いてくださったので、今では会社を辞めて、自分の会社を経営しています。
そのお陰で、馬車馬のように働き続ける毎日は終わり、いつでも行きたいところに行けるようになりました。
それにもかかわらず、以前に増して経済的にも恵まれるようになりました。
しかしながら、神様がくださった一番大きな祝福は、時間やお金ではありません。
それらを感謝して使える心でした。
心が満たされてなければ、どれだけ時間やお金があっても、ただ虚しいだけだと私は知りました。
真理はあなたたちを自由にする
初めて読んだとき、なぜか私の目を釘付けにした聖句が幾つかありました。
そのなかの一つの聖句が、今ようやく自分のものになりつつある――そんな気がしています。
自分のために生きることをやめて、神様のために生きる。
そうすることで、真に価値のある人生を生きられる――
このような御言葉を学んで、生きる目的が変わりました。
確かに、それは私にとって簡単なことではありません。
でも、そう生きようと決心するだけで、神様は余りあるほどの祝福を私にくださいました。
何年も信仰を続けるうちに、神様は祈りをとおして心を平安で包んでくださるようになりました。
そして、祈りを叶えてくださることで、神様が見守ってくださっていると感じさせてくださいました。
以前の私は、人の評価、お金、成功というものに心を支配されていました。
しかし今は、神様の前で正しく生きることを、何より大切にしています。
そのとき初めて、私は本当の意味で自由になったのだと思います。
あの日、私を捕らえて離さなかった「真理はあなたたちを自由にする」という聖句。
今では、それが単なる気休めではなく、私自身で確かめた真実になりました。
もし今、かつての私のように心から自由を求めている人がいるなら、その人にも、私が知ったような本当の自由が届いて欲しい。
そのように切に願っています。
RAPT有料記事835(2024年5月10日)御言葉を悟った分、絶望は消え、人生の荷が軽くなり、喜びと希望に満ち溢れるようになるし、悟ることの素晴らしさを人々に伝えずにはいられなくなる。