
「なぜ、こんなにも今の自分にピッタリの御言葉が与えられるのだろう?」
信仰生活を続ける中で、私は何度もそう思ってきました。
悩んでいるときには、その答えとなるような御言葉が与えられる。
油断しているときには、まるで自分のために語られたかのように注意を受ける。
「そうか。今の自分には、これが必要だ」
そう気づいて、実際に行動に移すことも少なくありませんでした。
毎日の御言葉のネット配信を通して、必要な答えをいただいた経験は、
数え切れないほどあります。
けれどあるとき、ふと思いました。
「こんなことが何度も起こるのは、本当に偶然なのだろうか。」
そんな私の心に、そのとき必要だった一つの御言葉が深く入ってきました。
神様の世界では、与えた通りに与えられる。だから、御言葉を伝えている使命者のために祈ってこそ、その御言葉から深い悟りと感動を受け、恵みに満たされる。
そのとき、私はこれまでの自分を振り返りました。
使命者のための祈りを疎かにしていた時期には、
御言葉を聞いても、なかなか深く悟れなかったことが思い当たったのです。
御言葉が、心に入ってこない。
読んではいるのに、何も感じない。
そんなことが確かにありました。
だからこそ、私は少しずつ分かるようになりました。
御言葉を自分のものにするためには、真心からの祈りが必要なのだと。
悟りは、天からのプレゼントなのだと思います。
神様が許諾してくださったとき、曇っていた目が開かれ、
「ああ、そういうことだったのか」と分かる。
だから逆に言えば、どれほど素晴らしい御言葉をいただいていても、
自分の祈りが足りなければ、その中にある答えを受け取れないこともあるのです。
そう考えると、私は今まで、せっかくいただいた御言葉を、
地に落としていたことが何度あったのだろうと思いました。
さらに不思議なのは、毎日のネット配信だけではありません。
過去に読んだ有料記事を、何度目かに復習するときにも、同じようなことが起こります。
そのときの自分に必要な記事が、
まるで今の自分のために用意されていたかのように目に飛び込んでくるのです。
「こんなことが書かれていたのか……」
以前にも読んだはずなのに、まったく違って見える。
以前は何とも思わなかった一言が、今は心に響く。
そして、その中に今の自分が探していた答えを見つけるのです。
そこでまた、私は気づきます。
御言葉が変わったのではない――
自分が変わったから、同じ御言葉の中に新しい答えを見つけられるようになったのだと。
そして、その背後には、御言葉を伝えてくださっている使命者のために祈りながら、
答えを求めてきた時間があったのだと思いました。
そう考えると、一つ一つの出来事が、少し違って見えてきます。
必要なときに必要な御言葉が与えられたこと。
過去の御言葉が、今になって新しく心に響いたこと。
そして、その中から答えを悟ることができたこと。
それらは私にとって、神様からの確かなプレゼントだったのです。
祈りは、ただ自分の願いを届けるためだけのものではありませんでした。
私たち人類のために御言葉を伝えてくださっている使命者を愛し、
感謝し、その働きを祈りで支える。
すると、その祈りを通して、自分自身も神様から御言葉という形で愛を受け取る。
必要なときに、必要な御言葉を与えていただく。
そして、その御言葉から悟りと感動をいただく。
そうやって、神様との間に愛が行き交っていく。
私は、そんな「愛の祈り」の世界を知っていきました。
これからも、御言葉を読むだけで終わらせず、
その御言葉を届けてくださっている方のために、もっと愛を込めて祈りたい。
そして、いただいた御言葉を一つも地に落とすことなく、行動に移せる自分になりたい――
祈ることによって愛を交わす道を与え、
私を導き、育ててくださっている神様に、
心から感謝します。
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