
神様は、よく「捨てなさい」とおっしゃいます。
でも、正直に言うと、
いざ捨てるときには迷いや怖さもありました。
仕事も、キャリアも、収入も、それまで築いてきたものも。
「もし、これを手放したら、自分には何が残るのだろう」
そんな思いが、一瞬、頭をよぎりました。
ところが、実際に手放してみると、
私が失ったと思っていたものは、失われませんでした。
それどころか、神様は、私が捨てたものさえも、
倍以上にして返してくださいました。
これは、私が信仰を持ち始めた頃の話です。
きっかけは、一つのブログでした。
私はあるとき、そのブログに出会い、
「神様が存在する」ことを知りました。
そのことによって、
当時ずっと抱えていた大きな疑問にも、
少しずつ答えが見えてきました。
「世界の未来はどうなってしまうのか」
「自分はどのように生きるべきだろうか」
それまでは、疑問や悩みに押しつぶされて、
毎日の仕事さえも手につかないときがありました。
確かに、「悩み」そのものがなくなったわけではありませんでした。
ところが、そのブログを読み進めると、
「神様が存在するなら、きっと大丈夫だ」
という大きな安心感が私を包んでくれました。
そして、私はいつの間にか、再び、
目の前に次々と与えられる仕事に、
全力で向き合うようになりました。
当時の私は、大企業に勤めていました。
なぜか神様の存在を知ってから、
毎日の仕事に向かう自分の感覚が変わりました。
以前なら重く感じていた仕事さえ、
驚くほど軽やかに進められるようになったのです。
実際、その後の数年間は、
それまで経験したことのない大きなプロジェクトを、
次々と成約させることができました。
それが社内でも評判となり、
もっと大きな仕事を任される機会も増えていきました。
ところが、一連のプロジェクトがひと段落したとき、
再び、私はふと立ち止まりました。
心のなかで、
「自分はいったい何をやっているのか」
という思いが、ふつふつと湧いてきました。
「このまま仕事漬けの生活を続けていても、人生の目的を果たすことはできない」
と気がついたのです。
当時の私は、
神様の存在を信じたまでは良かったのですが、
早朝から深夜まで仕事に捧げる毎日でした。
だから、祈ることも聖書を読むことも、ままならない生活でした。
私は、そこで立ち止まって、もう一度、自分と向き合いました。
「この生き方の延長線上に、本当にやりたいことはあるだろうか」
答えは、明らかにノーでした。
そのときから、私は、
「この生活から抜け出して、信仰を深められるように」
と就寝前に毎日少しだけ祈るようにしました。
すると、祈り続けて数か月が経ったときです。
信じられないような出来事が起こりはじめました。
会社勤めと並行して開始していた副業に関して、
一つの案件が舞い込んできたのです。
知り合いから、その話を聞いたときには、
「果たしてこんなに良い話はあるのだろうか」
と驚きました。
ところが、収益や必要な経費など、あらゆる条件を考慮して、
何度も計算しても数字は変わりませんでした。
だから私は、二つ返事でその案件を進めることにしました。
実際に案件を進めてみると、さらに驚くことに、
その知り合いさえも想定できていなかった嬉しい誤算が、
後になって見つかりました。
「こんなことが本当にあるのか」
と、しばらく信じられませんでした。
それと同時に、
「これで、会社を辞めても生計を立てられるかもしれない…」
と、本気で独立を意識し始めたのもこの頃でした。
今になって振り返ると、
これらの出来事の連続は、
導きに違いないと確信しています。
神様が祈りに応えてくださったのです。
さらにその数カ月後には、次なる急展開が到来しました。
なんとか副業が軌道に乗り始めた頃です。
これまで長年お世話になった会社への恩や義理もあり、
会社を辞めることがなかなか言い出せないでいました。
そのことに困っていたのです。
年度末も近づくある日、来期の組織体制について上司と話す場が設けられました。
そのとき二人だけの会議室で、突然、私は言い渡されました。
「俺は会社を辞めることにした。来期からの組織のことをよろしく頼むよ」
一瞬、何を言われたのか分かりませんでした。
「会社を辞める」
その言葉だけが、頭の中で何度も繰り返されました。
私は、ずっと会社を辞めたいと思っていた。
だけど、自分から切り出す勇気がなかった。
ところが今、その「きっかけ」が、向こうからやってきたのです。
気がついたら、自分の口が勝手に動いていました。
「……実は、自分も退職を考えていたところです」
その上司は、あっけにとられながらも、当てが外れたように困惑していました。
しかし、彼自身が退職する以上は、私にも辞めるなとは言えませんでした。
結局、担当の役員から「さらなる昇格を約束する」と強く慰留されましたが、
その半年後に私は無事に退職できました。
退職しようとしたとき、家族や友人から異口同音に「勿体ない」と言われました。
「誰にでもあるチャンスではない」
と諭されたときは、一瞬、心が揺らぎそうになりました。
しかし、御言葉に立ち返ることで、自分の心を取り戻しました。
RAPT有料記事297(2018年7月28日)主の御言葉に従う者だけが真の成功を手に入れ、全ての願いを叶えて生きられる。
これらの御言葉を読み返すたびに、私は思いました。
世の仕事に捧げる毎日から抜け出さなければ、
もっと大事なことのために生きられない――
そう思うと、
神様と神様が愛されている人類のための信仰生活を本格的に始めることが、
ますます待ち遠しくなりました。
すでに御言葉に触れていた私にとって、
信仰の先にこそ、この人生を生きる真の目的があるのだと信じられたからです。
私があのとき手放したのは、職だけではありませんでした。
収入、資産、肩書き、キャリア、将来への安心感。
私は、それらを手放す覚悟で会社を辞めました。
ところが今振り返ると、神様は、それらを別の形で返してくださったのです。
資産だけを見ても、当時の何十倍にもなりました。
けれど、私にとって何より大きかったのは、「時間」をいただいたことでした。
その時間を使って、神様について学び、祈り、御言葉を読むことができるようになりました。
そのことによって、一言では表せないほどの恵みと祝福をいただいています。
そして今では、肩書きやキャリアに、以前ほど心を奪われることもなくなりました。
その後、
かつての職場が以前にも増して厳しい状況になったという話を耳にすることがあります。
そのたびに、
「もしあのタイミングを逃していたら、私はどうなっていただろう」
と考えます。
もちろん、それは私には分かりません。
ただ、あのとき私が知らなかった未来まで、神様はご存じだったのかもしれない。
そう思うことがあります。
だから私は、これからも祈りたいと思います。
「神様、私が握りしめているものがあるなら、どうか気づかせてください」と。
そして、気づいたときには、それを手放せる自分でありたいと願っています。
失うことを恐れるのではなく、神様を信じて、手放せる人間でありたい。
あのとき、私が一つのものを手放したとき、
神様は、その先にあったものを私には見えないところですでに用意してくださっていました。
だから、これからも信じて捨てたい。
神様の御言葉に従って、手放すべきものを手放せる自分でありたい。
捨てることは、失うことではない。
神様を信じて手放したものの先には、自分には見えていなかった恵みが用意されている。
私は、この経験を通して、そのことを学びました。
RAPT有料記事842(2024年6月8日)神様のためならいつでもやりたいことをやめ、やりたくないことをやるという人が、結局、やりたいことをやって大きく活躍し、豊かな祝福と栄光が与えられる。