
数年前、私は原因不明の大病を患い、一カ月近く寝たきりになりました。
入浴するだけでも激痛が走り、「いつまでこの苦しみが続くのだろう」と途方に暮れる日々でした。
しかし不思議なことに、そのとき私の心には絶望ではなく希望がありました。
それまでの自分だったら出口が見えないなかで、心は真っ暗闇に沈んでいるところでした。
しかし、このときすでに神様を信じていた私は、思いがけず一日中祈ったり聖書に触れたりできる貴重な日々を過ごせました。
だからこそ、神様に祈るたびに、心に平安が与えられました。
確かに、痛みで眠れない夜もありました。
そんな苦しみの中にいても、
「最後は神様が守ってくださる」
という思いが心の奥から消えなかったのです。
このとき、私は、神様を信じるようになって本当によかったと心の底から思いました。
もしも神様を知らなかったら、「原因不明」ということだけでも、耐えられなかったと思います。
しかし、私は、「この苦しみにはきっと意味がある」と前向きに考えられました。
なぜなら、それまでも「災い」がかえって「益」となるような、不思議な導きを何度か体験していたからです。
「神様を信じて御言葉に従おうとする人生には無意味なことなど起きない」
と御言葉から私は学びました。
まさに、そのとおりの体験だったのです。
RAPT有料記事267(2018年4月14日)主から導き育てられる人は、人生に意味のないことが起きることがなく、良いことも悪いことも全てを益にして生きることができる。
しばらく経ったとき、
「やはりこの病気は神様が許諾されてのことだ」
と確信することがありました。
ちょうどこの時期だけ、公私ともに誰とも会わなくてもよい珍しいタイミングだったことです。
だから、一カ月も寝込んだにもかかわらず、仕事にも経済面にも大きな支障はありませんでした。
さらに驚いたことに、どうしても必要なアポイントメントが一つだけあったのですが、その日の前後だけは、不思議なほど症状が治まりました。
このように絶妙なタイミングのコントロールは、神様の導き以外に、私は経験したことがありません。
そのとき私は、この出来事もまた神様の導きの中にあるのだと確信したのです。
実際、痛みに伏す日々のなかで、改めて人生を深く見つめ直す機会を得られ、多くのことに気づかせていただきました。
少し時を経て、気づいたこともあります。
そのひとつが、感謝の大切さでした。
寝返りを打つことさえ苦痛だった私は、毎日のように「健康を取り戻したい」と祈りました。
そして数カ月後、本当に健康を取り戻すことができました。
そのとき私は心から神様に感謝しました。
しかし、ふと気づいたのです。
私は病気になる前、同じ健康を与えられていたにもかかわらず、一度でも神様に感謝したことがあっただろうか――と。
私はこの病気で寝込むまで、自分がどれほど多くの恵みの中で生かされているかを深く考えたことがありませんでした。
健康はもちろん、空気や水、平穏な日常さえも、神様から与えられた贈り物だったのです。
傲慢だったと思いました。
健康だけではありません。
銃声の聞こえない平和な日本で生まれたことも、私はどこか当たり前だと思っていました。
しかし、それもまた神様から与えられた恵みでした。
私にとって、健康を失ったことは苦しい経験でした。
けれども神様は、その経験を通して
「失ってからではなく、与えられている今のうちに感謝しなさい」
と教えてくださいました。
健康、信仰、愛、希望――
私は今日も、決して当たり前ではない一つ一つの恵みを見つけ、感謝しながら生きていきたいと思います。
RAPT有料記事632(2022年2月28日)主がイルミナティを滅ぼして下さるのも、御言葉を毎日のように伝えてくださるのも、全ては私たちを愛して下さっているが故だ。