
先日、十数年来の友人と焼き鳥を囲みながら話をする機会がありました。
その中で、私は彼のことを「最近、変わってしまったな」と強く感じました。
四十代後半になり、社会的な立場が高くなったからでしょうか。どこか尊大な振る舞いが目立つように思え、以前のような彼らしい謙虚さが感じられなくなっていました。
一時期の私は、彼に深い敬意を抱き、心から頼りにしていました。仕事や結婚など、人生のさまざまな相談に乗ってもらい、また私も彼の相談に乗る――そんな関係でした。
私にとって彼は、苦楽を共にしてきた、かけがえのない親友でした。
ところが今回、初めて「一緒にいて楽しくない」と感じたのです。
まさか、こんな日が来るとは思いもしませんでした。
「まさに諸行無常。人間関係とは、これほどまでに移ろいやすく、儚いものなのか」
そう実感しました。
以前の私であれば、変化を受け入れられず、親友を失いたくない一心で、相手に合わせていたかもしれません。
しかし今の私は違いました。気になった彼の考え方に対して、はっきりと自分の意見を伝えたのです。たとえそれで関係に亀裂が入ったとしても、それまでのことだと思えました。
結果として、私の意見が彼に受け入れられたのかは分かりません。
けれども、私にとってはもはや重要なことではありませんでした。
なぜなら、今の私には確固たる心の拠り所があるからです。
それは、神様の考えが示された聖書と御言葉、そして祈りを通して神様と向き合うことです。
人の心や考えは移ろいやすく、年月とともに変わっていきます。
その日の気分によってさえ左右され、しかも人それぞれ異なるため、誰かと完全に一致することはありません。
どれほど親しい関係であっても、それが永遠に続く保証はどこにもないのです。
しかし神様は、永遠に存在し、この天地と人類を創造し、すべてを統べ治めておられる普遍的な存在です。そこには揺らぎも迷いもありません。
人が貧しいときも、富んでいるときも、病のときも、健康なときも、神様が私たちへの態度を変えることは決してありません。
それに比べて、人の心はどれほど移ろいやすいものでしょうか。
だからこそ、私たちが拠り所とすべきなのは、人間関係のように脆く儚いものではなく、永遠に変わることのない神様なのだと、今回の出来事を通して改めて悟りました。
本来であれば、大切な親友を失うかもしれない出来事に、落ち込んでいてもおかしくありません。
しかし私は、それに代わる確かな拠り所が与えられていることに気づき、むしろ晴れやかで清々しい気持ちでその夜を過ごすことができました。
私にこのような悟りを与えてくださったのはRAPTブログです。
にわかには信じがたいかもしれませんが、このブログでは、神様から遣わされた使命者が、御言葉(神様からの啓示)を日々伝えてくださっています。
その御言葉に触れると、そのあまりの次元の高さに驚かされ、神様からのものだと実感せずにはいられません。
まだご覧になっていない方は、ぜひ一度訪れてみてください。
RAPT有料記事805(2024年1月13日)永遠に朽ち果てない神様の愛に心の拠り所を置きなさい。そうしてこそ、あなたの心も人生も安定し、幸福を実感して生きられる。