皆さんは、花や木々や鳥、あるいは空や星などの自然、いわゆる花鳥風月を見て、美しいなあと感じることはありますか?
最近私は、「花ってこんなに美しかったのかあ」としみじみと眺めることが多くなりました。
たとえ豪華絢爛な花で無くても、道端に咲く一輪の花に「小さいのに凛として美しい」と思って立ち止まることがあります。
これは私が10代や20代の頃には、絶対に考えられなかったことです。
人は一般的に、若い頃と違って年齢を重ねるごとに花や自然を美しいと思うようになるそうです。
食べ物の好みも変わるように、同じ人間でも年齢とともに趣味が変わるのは当然と思いますが、この傾向は何故おこるのか考えてみました。
普遍的な美しさ
色んな説はあるとは思うのですが、私は、一言でいうと、花や木々といった自然の美しさは普遍的な美であるからだと思います。
幼少の頃は、触れるもの触れるものが新鮮で、何にでもいちいち興味を引きます。
逆に、そうしないと色々と学習していけないので、人間だけでなく犬や猫などの動物も本能的に幼少期は好奇心旺盛に、何でもおもちゃにして遊ぶんだと思います。
少年のときも、まだ体験していないことの方が多いので、ジェットコースターに乗ってみたり、新しい遊びを体験したり、常に新しい刺激を追い求めます。
社会に出た頃の青年期においても誰もが新しい経験を積んで色々と吸収していきます。行ったことの無い国にも行ってみたり、誰かの死に直面したり、仕事でも修羅場をくぐったりとしますが、一周回ってこれが40代に差し掛かる頃には、世間一般の一通りの経験が積まれるので、たとえまだ経験していないことでも、あるいは新製品・新サービスが登場しても、過去の経験を元にある程度推測が出来てしまうので、世の中の新しい物や事で、驚いたり心を揺さぶるほどの体験は出来にくくなってしまうのだと思います。
別の言い方をすれば感動の限界効用が低減していくとも言えるかもしれません。
そこである意味、自分の価値観なかで普遍的な価値が相対的に浮上していって、つまり、今まで見過ごしてきたような花などの自然美のランキングが上がっていくことで、しみじみと感じるようになるのではないでしょうか。
花も空も人間が作った物ではなく、神が美しく創った物だからそれらは普遍的に美しいのだと悟りました。