
以前の私は、分からないことだらけの人生でした。
「何のために人は生まれたのか」
「死んだあと、どこへ行くのか」
「なぜ、戦争や差別はなくならないのか」
これらは、私にとって特に難しい問いでした。
どれだけネットや書籍で調べても、
人に聞いても、
確かな答えは得られない。
そんな暗闇の迷路を、
手探りでさまよい続けているような感覚でした。
もちろん、いつも哲学的なことばかり考えていたわけではありません。
日々の仕事や生活の中でも、
「なぜこうなるのだろう」
「どうすればもっと良くなるのだろう」
と、小さな疑問が次々と湧いてきました。
そうした疑問の大半は、
時間をかければ答えに辿り着くことができました。
しかし、すぐには答えの分からない疑問ほど、
根本まで突き詰めていくと、
「社会の歪み」や「人間の心」といった、
より大きな問題へと行き着きました。
そうして私は、いつしか冒頭に挙げたような、
人生そのものに関わる「大きな問い」にぶつかっていたのです。
だからこそ、そんな問いに対する明確な答えを知ったとき、
私の心は驚くほどスッキリしました。
まるで、長い間さまよい続けた暗闇から抜け出し、
目の前に一筋の光が差し込んできたようでした。
私は、一つのブログを通して、
これまで抱えてきた疑問の答えとなる真理を知ったのです。
神様は愛によって天地万物を創造された
霊界や霊体という存在は単なる空想話ではなく、実際に存在している科学的な世界
最初から何もかも信じられたわけではありません。
むしろ、疑いながら学びました。
けれども、「もし、本当にこれらが事実だとしたら……」と考えてみたとき、
それまで私を悩ませてきた様々な疑問が、
一つ一つ解けていくことに気づきました。
まるで、心の中に複雑に絡みついていた糸が、
スルスルとほどけていくようでした。
だから私は、信仰を持つようになりました。
それまでの人生とは、まるで違う世界が開けたように感じました。
確かに、神様や霊が存在するということを知ったことで、
私の人生は大きく変わりました。
だからこそ、この喜びを一人でも多くの人に伝えたいと思い、人にも話しました。
しかし、どれだけ自分が感動したことを話しても、
なかなか伝わらないことばかりでした。
「こんなに大切なことなのに、どうして伝わらないのだろう」
そう思っていた私の心に、ある御言葉が深く刺さりました。
人生について深く真剣に考えたことのない人は、人生を生きる上で必要な答えが与えられても、それが答えだと分からない。
RAPT有料記事791(2023年11月20日)人生について深く真剣に考えたことのない人は、人生を生きる上で必要な答えが与えられても、それが答えだと分からない。
この御言葉を学んで、私は初めて、
人それぞれに真理を受け取るための「時」があるのだと分かりました。
考えてみれば、私自身もそうでした。
御言葉に出会う前の私は、
分からないことだらけの暗闇の中で、
必死になって真理を求めていました。
だからこそ、目の前に答えが示されたとき、
それを「答えだ」と受け取ることができたのだと思います。
そのように心から真理を求める時間そのものを、
神様が私の人生の中に用意してくださっていたのだと、
後になって分かりました。
あの頃の苦しみや、
「どうして分からないのだろう」と悩み続けた時間さえも、
真理を知ったときの喜びにつながっていたのです。
けれども、真理を知ったことで、
私の「答え探し」は終わったのではありませんでした。
今度は、真理の中にすでに与えられている、
「まだ自分の知らない答え」を見つけていく旅が始まったのです。
以前は何気なく読み過ごしていた御言葉を、何年か後に読み返してみる――
すると、
「こんなに重要なことが書いてあったのか!」
と驚くことが、何度もありました。
以前と同じ御言葉なのに、
以前の自分には見えなかったことが、今の自分には見える。
そのたびに私は、御言葉の中には、自分がまだ気づいていない答えが、
幾重にも込められているのだと感じるようになりました。
そして、それは同時に、
自分自身が少しずつ成長している証でもあるのだと思います。
数年前には深く考えることのできなかったことを、今は考えられるようになった。
以前は気づかなかったことに、今は気づけるようになった――という具合に。
そうして一つ一つ答えを見つけるたびに、
これまで悩んでいた心の問題が解決されていきました。
ときには、心の問題だけでなく、
生活上の問題についても答えを得ることがありました。
実際に、原因不明と事実上診断された病気について、
御言葉を学び、祈り続ける中で、
様々な導きを受け、適切な予防法に辿り着いたこともあります。
こうした一つ一つの経験を通して、
私は、神様がいきなり全ての答えを与えるのではなく、
その時々の自分に必要な答えを、一歩ずつ与えてくださっているのだと感じるようになりました。
そして、その一つ一つの答えの中に、
神様が自分を導き、育ててくださっている愛を感じるのです。
振り返ってみれば、私の人生には、二つの「分からない」がありました。
真理を知らなかった頃の私は、
そもそも人生の答えがどこにあるのか分からず、
暗闇の中で答えを探していました。
そして真理に出会った後は、
御言葉の中に答えがあることを知った一方で、
今度は、その答えが自分にはまだ見えていないという経験を何度もしてきました。
目の前に御言葉があっても、
それが自分にとっての答えだと分からないことがある。
けれども、人生を歩み、経験し、祈り、学び、少しずつ成長していく中で、
「ここに答えがあったのか」
と気づく瞬間がやって来る。
だから私は、これから先、また分からないことに出会ったとしても、
以前のように途方に暮れることはありません。
「答えがない」のではなく、
「まだ自分には、その答えが見えていないだけなのだ」
と思えるからです。
そう思えるだけで、心は不思議なほど安心します。
どんなに大きな問題に直面しても、
もう「この先どうすればいいのか分からない」と絶望する必要はない。
祈り、御言葉を学び、神様に向き合いながら歩んでいけば、
いつか必ず、
「ここに答えがあったのだ」
と分かる時が来る。
その希望を持って生きられることが、
今の私にとって何より大きな安心です。
そして今、私は改めて思います。
答えは、すでに与えられている。
ただ、その答えが見えるところまで、
自分自身がまだ成長していないことがある。
だからこそ、これからも御言葉を学び、祈りながら成長していきたい。
いつの日か、今はまだ気づいていない答えにも、
「こんなに大切なことが、ここに書かれていたのか」
と喜べる自分になれることを願いながら。
このように、
どんな時にも答えを求めて生きられる希望と安心を与えてくださった神様に、
心から感謝いたします。
RAPT有料記事769(2023年8月26日)神様がこの世を裁いているのは、人々に自分たちの限界を見せつけ、「神を求め真理を求めるか、それとも絶望して死ぬか」という選択肢を突きつけるためだ。